妙高山スキー報告書

報告者:藤本

日程:2005/12/27-1/1

●アプローチ

小太郎は27日にべべヒュッテ入り(26日の予定がプラ靴崩壊で延びる),関は28日の朝発で青春18。藤本は26日夜行で白馬入りし,食料等を残地。28日,妙高高原駅にて,関と待ち合わせ。最終バスを乗り間違えるというトラブルがあるも,車掌さんにまた駅までつれて帰ってもらい、再度ハイヤーで杉の沢へ。そこからスキーをはいて,べべヒュッテまで登る。21:30べべヒュッテ着。

○交通

白馬〜妙高の移動がネックだったが,白馬〜長野がなんとバスだと1時間。さすがオリンピック街道。除雪も完璧で遅延なし。オール電車の場合4時間以上かかる移動が2時間半に短縮だ。それにしても今年は豪雪で交通機関は遅延が相次いでいる。京都〜白馬の夜行バスも滋賀を抜けるのに5時間かかって,結局到着は4時間遅れた。信越本線も倒木除去作業のため50分遅れた。(おいおい倒木除去ってなんだよ。って思ったけど,昨日JR北上線が倒木のため脱線したらしい。う〜ん。秋田新幹線も運休してるし)山岳部OBぐずらさんによると,信越本線はずっとダイヤが乱れっぱなしだったようだ。

 

12月29日

6:00起床。ベーコンエッグ+1.5合を食し,7:20山岳部OBぐずらさんに同行いただいて,出発。猛烈なラッセルが予想されるため,ゲレンデ練習は中止して,即京大ヒュッテを目指すことにした。がJバー起点から早稲田大ワンゲルと思われるトレースがあった!ありがたいことに池の峰の尾根まで続いていた。彼らは池の峰から三田原を目指したのだろう。9:40休憩。11:00休憩。12:15京大ヒュッテ着。ルンゼ手前・池の峰手前で弱層テストを行う。いずれも70センチほどで,昨日今日と積もったと思われる雪が腰くらいで取れた。午後は雪訓。埋没体験では気合いをいれすぎて小太郎が臨死体験をする。1分30以内に掘り出せば大丈夫というものの、ちょっとやりすぎた。藤本も始めはパニックになり出してもらい、気を取り直してから再度埋めてもらった。独特の圧迫感と閉塞感と絶望感と寒さ。洞窟とは別の恐怖に襲われる。埋没体験の目的どおり、「絶対雪崩れに遭いたくない」という思いがことさら強くなった。その後ビーコン探知ごっこをし、小屋に入る。ミーティングの後、寝る。

 

●12月30日

3:00起床。5:00出発。5:50休憩。7:00休憩。8:00休憩(山岳部の雪洞)。9:15外輪山の尾根上出る。9:30鞍部にて山岳部と出会う。休憩後、11:00まで山岳部の半雪洞作りを手伝う。謂わば恩返しであろうか。山岳部は29日発で雪洞泊、30日朝発で、外輪山着、三田原方面を偵察し、帰ってきたところの探検部との鉢合わせであった。つまり、彼らが1日半かけてきたところを、彼らのトレースを利用した僕らは4時間半で来たことになる。帰りは涸沢右岸沿いを軽快に滑り、12:15ヒュッテ着。まさにパウダーでとても気持ちよく滑れた。山スキー最高。妙高を知るぐずらさんも、この日の雪にはご満悦の様子。後にぐずらさんが話すところによると、僕らは涸沢の左岸を往復していたという。それが正しいとすると、トレースをたどっているうちに、支ルンゼと思い、知らぬ間に涸沢を横断していたことになる。食べたり読んだりしているうちに夜は更ける。もう一日ヒュッテでだらだらすることにする。

 

●12月31日(大晦日)

各自起床。藤本が8時に起きたところ、みんな起きていて、朝食が用意されていた。ぐずらさん退荘。ヒュッテのバルコニーにイグルーを作る。掘っているうちに所々黄色い雪が現れて、萎える。霜ざらめの層に沿って水平に浸透しているもんで、笑った。中はかなり広く快適。マジックフレークでブレークしてヒュッテに戻る。実際に中から眺めると、せっかくの景観を壊してしまったことに気づく。また食べたり読んだりしているうちに夜は更ける。マキの取り込みや掃除などの、明日に向けた退荘の準備をする。軽薄さん(山岳部OB)と友人の田中さん(大阪市立大ワンゲルOB)が入荘。

 

1月1日(元旦)

あけましておめでとうございます。とお互いに挨拶してみるも、あまり実感が湧かない。4:00起床。掃除・ごみ捨て。7:15出発。またもやトレースが着いている。ツアーのトレースのようだ。8:20池の峰通過。8:30休憩、シールをはずす。ここから登りはなし。厳正なるじゃんけんの結果、オーダーは関・藤本・小太郎。後ろの方がぐいぐい滑るんです。9:00林道終着点。ゲレンデに出てからのスキーの爽快だったこと。9:10べべヒュッテ着。京大ヒュッテの鍵をくずらさんに返す。このまま降りて、10:05のバスに乗り、妙高高原駅11:00発・長野駅行き西沢カーに乗る予定になっていた。が、「よかったらお雑煮食べていかない?」。その一言に屈し、お雑煮>西沢の結論に達した僕らは、内藤さん親子・原さん一家+娘の友人・ぐずらさんと共に、大吟醸をいただきながら優雅なひとときを過ごした。そんな僕らのために天使西沢は麓の町、杉の沢まで軽で迎えにきてくれた。そしてこのまま次なるプラン地白馬へ。

 

●総評

     ほぼずっとトレースに恵まれ真にラッキーであった。

     三田原アタックに成功して嬉しい。

     ずぼらな食担の怠慢を、両ヒュッテの豊富な食材がフォローしてくれた結果、飽食プランとなる。3人で、朝4合、夜6合は当たり前。

     全体的に藤本・小太郎(特に藤本)の準備が遅く、出発が遅れてしまうことがあった。

     藤本・小太郎は山スキーに慣れた。

     関の山に対する技術・知識・(危機)意識を藤本・小太郎が習う。

     探検部も11月3日の小屋開け時に荷揚げすることで、ヒュッテを使わせてもらえそう。とりあえず小太郎がいる間は大丈夫?

     キムのプラ靴に穴があいていた。

     素敵な元旦であった。